熊本県人、台湾中毒者。台湾が好きすぎて、2014年に台湾移住。8年の台北生活後、2匹の犬と共に最も好きな都市、高雄に引っ越す。生活の中で出会う様々な不思議なものを日々探索している。
何年台湾に住んでいても、高雄にいると、台湾の可愛さに驚かされることが多い。もしかしたら、台湾現地の方々が見落としがちな視点、習慣となってしまっている文化が私に驚きを与えているのかもしれない。ここでは、日本からの移住者の視点から、様々なヘンテコで可愛い高雄を掘り起こしていこうと思う。
文.撮影:吉本梨惠
高雄に住み始めて数年。気づけば、街の空気の粒子みたいな「高雄の合言葉」がいつの間にか自分の中に紛れ込んでいた。観光情報としては、ほとんど語られないけれど、暮らしている人なら誰もが知っている暗号のようなもの。
例えば、「ダーリー」。移住当初は、この単語が聞こえてくる度に、「ダーリーって何・・・?」と首を傾げていたが、後々生活していく上で、なるほど、「ダーリー」とは、「大立百貨店」のことらしいと知った。他にも、滷味の具材の一つ“口香糖”や、階段の“樓梯”というあだ名。高雄人独特の感性がこんなふうに生活の中に煮汁のように染み込んでいる。
今回は、そんな高雄人にとって当たり前の常識。「知らなきゃ通じない高雄人の合言葉」を3つ紹介したいと思う。
看板からNFTまで、街に根づく伝説の人物「陳財佑」
最初に紹介したいのは高雄の有名人「陳財佑」。
街中を走るトラック、路上の柵など、さまざまな場所で、この卒業写真のような微笑の男の子のイラストが時折目に入る。最初は選挙の時期なのかな?と思ったけれど、どうやらそうではないらしい。
彼はただの学生ではない。防水・漏水サービスを手がける「陳財佑治漏技研」の創業者で、自らの学生時代の写真を使って宣伝しだしたことで、業務内容というより、そのインパクト強めの「顔」が伝説化。今では、高雄で知らない人はいない、名前を出せば絶対に伝わる存在になった。
さらに最近では、そのモノクロ写真を1000枚のNFT(非代替性トークン)で発行したというニュースもあり、陳財佑という存在が、ただの業者ではなく、高雄のローカル文化の一部になっていることを感じさせる。
県外出張からの帰路、視界にあの微笑の少年を見かけると、高雄に帰ってきたと感じるようになった。笑
路上で見かけるネズミ「ママソ」
高雄の街を散歩していると、突然目に入ってくる日本語のカタカナ「ママソ」の文字とネズミのようなキャラクター。
電柱、古いビルの壁、シャッター、ポストの裏側にまで、まるで街中の隠れミッキーのように、不意に出会う。台北は大腸王、高雄はママソだ。意味があるのかないのか。メッセージなのか、ただの遊びなのか。誰も本当のことは知らないけれど、高雄の人たちはふわっと微笑んで「あるよね、ママソ」と受け止める。
それにしてもなぜ「ママソ」なのか。公式SNSでは、ハッシュタグ #mamaso と記載があることから、この文字は日本語のカタカナなのは間違いないようだ。異国の地で、日本語の名前がついた落書きが町中に溢れているなんて、日本人としては少しこそばゆくも感じる。
落書きの意図は誰にもわからないけれど、様々な場所で様々なタイプのママソを気づけば、写真に撮ってコレクターしていた。
ちなみに、ママソは自転車にも乗るし、体も存在している。
電話一本でどこにでも出張してくれる「鐵盒保哥」
高雄は熱帯気候に属しているため、通年を通して15度以下になることは滅多にない。それどころか特に夏の日中は死ぬほど暑い。そのせいもあってか、高雄は夕方から夜にかけて行われる野外イベントも多く、友達とお気に入りのバーで語り合うこともしばしば。そんな時、小腹が空いたら、ぜひ知っておいてほしいのが「保哥」。
保哥は、37年もの歴史を持つ「移動式」滷味のお店。たくさんの種類の滷味が入った鉄の箱をバイクの背に乗せ、電話一本で、クラブやカラオケボックスなど、高雄市内であればどこにでも出張して夜食を提供してくれる。
深夜でも電話がつながりさえすれば駆けつけるそうで、高雄市内に拠点をいくつか構えることでその行動範囲を広げているとのこと。現在は実店舗もいくつか構えているが、移動屋台スタイルは今も変わらず続けられている。以前は他にも同じような移動式滷味を提供する店があったそうだが、現在高雄で残っているのは保哥だけらしい。
普通の出前と違うところは、深夜の配達以外に、その場でわいわい具材を選べるところ。「これは入れる?」「辛さは?」「あぁ、それは今日ないよ」という、気だるくも心地いい店員さんとの会話。仲間と一緒に夜遅くまで楽しく語り合う文化が特に強いと感じる高雄の「夜の文化」としてしっかり根ざしている。

高雄は、観光ガイドの文章だけでは掴めない。生活の中で拾い集めた「合言葉」は、この街に散らばっている宝石だと思う。
陳財佑という名前が聞こえてくること。
ママソが、どこかの壁に今日も増えていること。
夜遅くに保哥を呼びたくなること。
高雄の“常識”は、誰かに教えられるものじゃなく、暮らしていくうちに自然と身体に染み込んでくる。そしてその度に、「あぁ、自分は今日も、高雄で暮らしているんだな」と静かに実感する。
高雄を歩いていて、もし意味のわからない何かに出会ったら、それはきっと、この街からの最初の合言葉だ。






